小学生と、田植え
毎年やってる小学生との田植えも5年目を迎えた。対象は5年生なので、目の前にいる子どもたちが1年生の時からやってるんだな。「毎年続ける」ってすごいこと。このまま続くと、4年後には、町内の中学3年生までの子どもたちが全員「米づくり」を経験していることになるのだから。
ちなみに、子どもたちが給食で食べているお米も、5年生の授業で米づくりを教えてくれている茂さんのお米。おいしいお米を食べられる子どもたち、贅沢ぅ…。
ソーシャルディスタンス、ならぬ「米ディスタンス」を保ちながらの手植え。保育所や家で田植えを経験している子どもが半分くらい。経験者が初めての子にやり方伝えてたりしていい感じ。
途中で手植えを終えて、あとは機械植え。
5年生の社会の教科書には大規模米農家さんの例が載っていて、超大型の600万円する機械が紹介されているとか。そこまで大きな機械ではないけれど、「機械に乗る」ということでワクワクする子どもたちも何人かいるみたい。
順番に機械植えを体験しているあいだ、子どもたちは田んぼ周辺をあちらこちらへ。
「ここ、よーけおる!」「ほら」
ササッと手をもぐらせて、カエルをつかまえる。カニをつかまえる。
「サワガニ」「きれいな川にいます」「これは、オス」「メスならおなかがふくらんでたまごをもってます」
と、まるで図鑑をよんでいるかのような説明を受けながらフムフムとうなずくわたし。つい…「食べるの?」と聞いてしまった。
「え、、、」
「それはかわいそうです」
好奇心旺盛な子どもたちを見ながら、ホッとする。「田植え」にきた子どもたちが、興味や関心をもってそれぞれの時間を過ごしている景色はとてもよい。
一つひとつ大人に言われなくたって、子どもはよく見て、考えて、感じて、動いている。その生き生きと動く姿を見られただけでわたしはうれしくなる。
繰り返し読んでいる本の書き出しに、こんな言葉がある。
日常のことでも、「わかりやすい」「すぐに役に立つ」ということが大切と思われていて、「自分で考える」ということが少なくなっているように感じています。
「考える」ということは、「数学の問題を考える」場合のように、出された問題の答えを考えることだけではありません。「考える」ということは、普通に暮らすことです。
「かんがえる子ども」安野光雅
いつも頭の中をよぎるのは、「いかに邪魔をせずにいられるか」ということ。これは、子どもだけじゃなくて大人にも。
樋口 明日香