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2020-06-11

映えない日々の、積み重ね

教員をやってた時、1年生でも6年生でも、わたしから出す宿題はA4 1枚と決めていた。

毎日1枚を提出し(遅れてもいい)、わたしが見てコメント入れて(スタンプだけの時もある)ファイルに綴じていくと、1年が終わる頃にはまぁまぁの厚みが出てくる。毎日やるのは薄っぺらい紙1枚だったとしても、1年が終わる頃にはずっしりと重みのある「かたち」となって目の前にあらわれるのだ。

日々の宿題(A4)の隅っこに、その日クラスであった出来事やお知らせを載せるなど、宿題は学級日誌のように積み重なっていった。「捨てられない」と保護者に言われたことは一度だけじゃない。

宿題には通し番号をつけていたので、「出した」「出していない」が自分で認識できる。番号順に「揃えたく」なってくる子が何人か。ファイルの裏表紙に10枚ごとにチェックしてシールを貼るスペースを用意していたら、モチベーション上がる子どもが一定数いる。でもやっぱり「揃える」「積み重ねる」が得意じゃなかったり、意味を感じなくてやりきれない子もいる。

それでいいし、いろんなタイプの子どもがいるその状況が当然だ、と思う。わたしも、わたしがやりやすい方法を選んでいるのだから。

たとえば宿題は、人間のコントロール下におかれているもので、人間がコントロールできるもの。

最近、田んぼに入るようになってつくづく思うことが、「人間がコントロールできないこと」が身の周りにはたくさんある、ということ。大きくは、天候、そして災害、疫病。気候変動や新コロナウィルスも地球全体で抱える問題だ。

その「コントロールできない」なかで、目の前の状況に真摯に向き合い、知恵を絞り、試行錯誤の結果として食料を得られることのありがたみ。お金を出して「消費」するだけの生活をしていると想像が及ばない世界が、そこにはある。それをほんの少し実感できただけでも、米づくりに参加してよかったと思う。

自分以外の「何か」を中心に生活が回っていくことが、案外、人間には必要なことなのかもしれない。その対象が家族だったり、生き物(植物)だったり、地域のことだったり。

ゆったりしたペースで仕事をしていきたい、と選択した結果、ルーティーンに追われることはなくなってきた。かわりに、決まった「何か」を作ることが必要で、小さなことだけど今はこのblogを毎日更新することがささやかな日々のルーティーン。自分に課した “宿題” のようなもの。淡々と重ねていく先に何があるのかなんてわからないけれど、地味な日々をちゃんと重ねてゆくしかない。

お煎餅、焼く前
お煎餅、焼けた

トースターで焼いたお煎餅が、おいしい。買って食べるのは一瞬だけど、食べる前の「つくる」に、ほんのひと手間かけるだけで、なんと愛着のある煎餅になることか。
「おーせーんーべーぇーがーやーけーたーかーな」
って言いながら手のひらを裏返していく遊び、思い出した。

樋口 明日香

パンの授業(現在お休み中/再開時期は未定)

再開の際にはこちらのブログでご案内いたします。

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