手のひらの“めし碗”
ごはんをよそう器のことを「めし碗」と呼んだこと、これまでなかった気がする。…呼ぶ時は「お茶碗」だっただろうか。
茶碗(ちゃわん)とは、元来は茶の湯において用いられる茶を入れて飲むための碗[1]を指す語である(中國語:茶碗、茶盞、茶圓)。ただし、近年では広く陶磁器製の碗を指して用いられる[1]。
現代の日本において「お茶碗」と言った場合には飯茶碗を指すことが多い。ただし、ご飯をよそうための椀は、特に ご飯茶碗(ごはんちゃわん・ごはんぢゃわん) あるいは飯碗(めしわん)と呼び区別することがある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
今回は、縁あって「めし碗」のお話を。
鎌倉にある「うつわ祥見」を主宰する祥見知生さんのお話会を自社で開催すると聞き、先月鎌倉を訪れた際、うつわ祥見「onari NEAR」に伺った(2回目)。あいにくご本人はいらっしゃらなかったが、棚に並べられていたご著書の「言葉」が目に、心に、飛び込んできて連れ帰った。
それが、この2冊。
なるほどー、なるほどーとメモしながら読み進め、自分が「ビビっ」と思った点をお話会で伺ってみたいと思った。
さて。
お話会当日は、やはりうつわに対する「愛」がビシバシ伝わってきた。
その中の一つ。めし碗の選び方。
めし碗を、自分の両手のひらで包んでみる
ということ。
包んで、持ってみて、これ!と思ったものを選ぶということ。
お話会の翌日訪れた境さんの工房で、その「両手で包んでこれ!」と思っためし碗を連れ帰った。こちら。
この写真だと大きさが分かりにくいけれど、意外と小さい。
祥見さんとお話ししていたとき、「食べる量も、手のひらにおさまる量がちょうどいいのよ」とおっしゃっていた。
これまでわたしが使っていた「ごはん茶碗」は、これよりふた回りくらい大きなサイズ。
なるほどなー。
食べ過ぎだったんだよなー。
そんなことを痛感したのでした。
これからは、この小ぶりなめし碗に、ちょうどいい量のごはんを食べたいと思いました。ほんとうに。
でもね。
日々のごはんがおいしすぎて…
お代わりがとまらない。
小ぶりなめし碗だと、お代わりの回数も増えるのですよね、、、これはほんとうに困った問題。
友人らが棚田で手間暇かけて育てたお米「エタノホ」もこれにて終了。
暦の上では食欲の「秋」も終わったはず。
胃も「小ぶり」に切り替えていきたいところです。
un 樋口 明日香