「蓄積」の対義語は「消耗」
日々ブログを更新することだけで自分を保っている気がする今日この頃。何かしら次へのステップの糸口がつかめるといいなぁというかすかな希望を抱えていることだけが希望のような。
先日、同僚の手料理をご馳走になりながら、じっくり話をした。
キャッキャした大人数の飲み会は苦手が過ぎるのだけど、人とじっくり話ができる時間はとても好き。
幼少期から、喜怒哀楽の「怒」が強め。理不尽なことや、「正しさ(←自分基準)」からずれている事象に対して「怒」が込み上げる。20代の頃、あまりに「怒」が強くて仕事に支障が出ていたため(自分の身も保たない)、頼りになるセンパイに相談したことがある。「あまりにも怒ってしまって、“いい状態” でいられない。どうやってコントロールしたらいいのかわからない」と。そのセンパイは「その『怒』の感情をもつ瞬間も“あなた” なんだから、それを見せればいいと思う。人間味があるじゃない」と言ってくれた。以来、「怒」の背景を伝え、活動エネルギー(ポジティブ)に変換しながら、うまく付き合えるようになりつつある。
でも。ここのところ、その変換がうまくいかない。コロナの影響も受けているし、ここ数ヶ月でいろんなものから離れたり、手放したり、周辺環境の変化も大きかった。何かを保持するエネルギーすら保てていないのかもしれない。それを経て手元に残るものはなんだろね。空いたスペースには何が入ってくるんだろう。
これまで積み重ねてきたものを手放したくなる感じは、シフトチェンジのタイミングなのだと思わずにはいられない。
「蓄積」の対義語を調べてみたら「消耗」だった。
なんか、納得。
おいしい手料理をいただきながら、話して、聴いて、食べて。
直接的な仕事の話ではなく、自分の在り方や働き方について話を交わせる時間はとても貴重。自分の特性を知ることと、学び続けることのマッチングをしてゆきたいな。
現実逃避したような実感が得られる過ごし方の一つが小説を読むこと。島本理生さんの著書は「ファーストラヴ」に続いて2冊目。感情のさざ波が細やかな描写で照らされ、感情移入したまま読み切った。すごみ。
樋口 明日香