トマトからトマト!
好きで読んでいる「うかたま」という雑誌がある。白崎先生が連載をされているので、それを目当てに毎号買う。今年の春の号に載っていたのが「トマトをそのまま土に埋めると芽がでる」という特集。
これはおもしろそう。
わたしが子どもたちにかかわりながら感じている思いは
「体験を通して自分の考えを持ち、小さなモノゴトからも社会を見つめる素地を育んでいく」
ということ。
自分ごとだと「めんどくささ」が先に来てなかなか掃除も炊事も捗らないのに「子どもたちと一緒にやると楽しそう!」と思えるモノゴトに対しては、すぐに動き出せる。
これはやってみなくちゃ!とすぐに準備にとりかかった。
かわいいトマトの空き缶に入れたかったけれど、水抜き用の穴あけが面倒で断念。無難な黒ポットになりました。
4月8日
これから何日か経つと、トマトの表面に白いもやもやが出現する。明らかにカビ。さらに、土に紛れていた他の雑草がどんどん芽を出す。「もうダメだな」と思っていたけれど、土に戻すのも面倒だったのでそのままにしておいた。
5月25日
久しぶりに、黒いビニールポットと芽が合った!(「久しぶり」ってあたり、ほんと「育てる」ことに関してはわたしの日常から追い出されている気がしている…ごめんよトマト)
なんと!
トマトっぽいものが育ってきているではないか。(捨てなくてよかった)
水もほとんど与えていなかったにもかかわらず、ちゃんと育っていた。植物ってすごい。ミニトマトって、強い。
「種」のはなし。
「F1種」っていう言葉を知ったのが、昨年。生まれて初めて聞く言葉だった。
「たね」は、どんな種類でも翌年芽が出て育つ、と信じていた。
たまたま、「在来種」のたねを身近なところで目にすることがあり、それを説明している場面で「F1種」の存在を知ったのだ。「知らない」ってすごい。たねにそんな世界があるだなんて、今のタイミングで知れてよかった。
で。
「在来種」の価値(土地に合っている・受け継いできたもの)を伝えようとした時に、同時にF1種のことも伝えなきゃ、と思った。小学生に話すとしたら、どう伝えるだろう?
言葉で色々と理屈を説明することはできるけれど、わたしが伝えたいことは言葉で伝えられることじゃない、となんとなく思った。
何十年という長い年月をかけて、作り手から作り手へ、その土地で受け継がれてきた「たね」には土地のDNAが組み込まれている気がする。それは、買ってきた「たね」がいくら育てやすくて強くておいしかったとしても、とてもかなわない「たねの仕組み」なのだ。
この「トマトからトマト」、子どもたちと一緒にやってみたら、どうだろう。
(仮)小学校の授業プログラム「たねの『ひみつ』をさぐろう」
例えば。
①それぞれの家で食べたミニトマトを持ち寄ってみる(複数個)。(なるべくいろんな種類のトマトがあるといい。)
②それぞれのトマトを土に埋めてみる。
③成長し、収穫する。
F1種のミニトマトなら、③の時点で元のミニトマトとは違うミニトマトが実っているはずだ。
それだけでも十分面白いと思うけれど、地域にある「在来種」のミニトマトを一緒に土に埋めてみるとどうなるだろう。やったことがないのでどこまでの差が出るのかわからない。
もしかすると「バラバラの実」が実るミニトマトと、「全部同じような実」が実るミニトマトとが目で見て明らかになるんじゃないか。
そこで、「たね」の話がストンと入ってくるに違いない。とはいえ、わたしも「たね」については勉強が足りていない。もっと知らなければ。
F1種は一代限りの「たね」。
在来種はずっとつないでいける「たね」。
たねの仕組み、社会の仕組み、ひとの考え、すべてつながっている。
「食」や「農」の体験を通して自分の考えを持ち、小さなモノゴトからも社会を見つめる素地を育んでいく、そんなかかわりができればいいなぁと思っている。
まずはホンモノを伝えられるように自らも学び、子どもたちに分かりやすい体験として楽しく伝えられる工夫をしていきたい、と思ったトマトの芽の話でした。
un 樋口 明日香