小学校の体験活動(食農プログラム)で大切にしたいこと。
会社(Food Hub Project)で小学校の授業に入らせてもらうようになって5年目を迎えた。今年の5年生は今までと様子が大きく違って驚いた。
びっくりしたのは作業の一つひとつへの関心が高いこと。いちいち反応すること(←うれしい)。生き物を見つけてわさわさと集まるところ(←2年生の時からそんな子どもたちだった)。そういう周辺にあるもの一つひとつを見て、目の前にいる人の声を聞いて、手を動かしながら考え、友だちと感想を交わしている姿に、わたしは元気をもらった。
「メモはあとでいいから、目と耳と鼻と口と…からだ全部をつかってよーく味わってね」と言ったのだけど、まさに、その通りの状況が目の前で起こっていたのだ。しげさん(米農家)が「機械に頼り過ぎるな、五感を働かせろ」という話をしていたけれど、おそらく子どもたちは感覚的にそれを知っているのだろうな、と思わされる状況だった。
子どもたちが育てるお米は、しげさん家で70年以上種採りしてつないできたもち米。5年生が収穫した種籾を次の学年につないで校内での循環を目指している。
籾まきは、手作業と、機械式の両方を体験。初体験の子どもたちの声に耳を傾けるのはとてもおもしろい。機械が動き始めると「すげー」「かっこいいな」「チョコレートみたい」などなど、あちらこちらでつぶやきが聞こえる。
機械で行う仕事も、手で一つひとつやっていく仕事も、それぞれちゃんと役割がある。教科書にも機械でやる方法と手作業の両方が掲載されているようだけれど、なんとなく「機械=はやく大量に作業をすることが可能」「手仕事=時間がかかる」のような解釈になりがち。
それに関しては、昨年稲刈りを体験した5年生の言葉が印象的だった。
「機械ははやかった。でも、手刈りの方がスパッと切れて気持ちよかった」と。
体験したからこそ出てくる言葉。教科書だけでは、その感覚的な、スパッとやって気持ちいいという「感じ」は学べないのだ。わたしたちが小学校の活動を通して伝えたいのは、きっとそういうこと。言葉の裏にある、やってみることで感じられたり味わえたりできる「実感」。その人固有の体験として体に記憶されるそれこそが、小学校やさらに小さな子どもたちの「体験活動」の意義ではなかろうか…?
やみくもに「正しさ」の基準を押し付けず、その時々の状況や考え方によって選べる余地があるということを「食」や「農」を通して伝えたいと思う。
小学生が育てる米は無農薬・無化学肥料で育ててきたけれど、今年度は除草作業の日程がとれず、減農薬栽培になりそうだ。子どもたちに伝えたら、どんな反応を示すだろう。先生に伝えたら、なんて言うだろう。わたしが除草作業に入ったら「無農薬」が可能になるのだろうか…。
樋口 明日香