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2019-06-17

対話合宿に参加して「みんなでつくる」を考えた

大阪のとある喫茶店でモーニング。
大勢に混ざったあとは、一人の時間を選んでしまう。

昨日から対話合宿に参加していて、いろんな人のいろんな言葉と自分の言葉を出して広げて混ぜている。混ざり合って別のものが生まれる、ということは今のところなくて、キャッチアップできた周辺の言葉を自分の都合のよいように理解している感じ。初めて会った人のバックグラウンドをイメージしながら聴く、理解する、ということはとても難しい。そして表面的なキレイな言葉の羅列を聴くことに耐えられない自分に気づく…(全身で遮断してしまう)。
事実をどう捉え、どんな風に理解できるかは、その人のあり方や、その場をどうつくっていきたいのか、ということとつながっていると思う。自分の構え方を変えると、聴こえ方が変わってくることも感じた。「対話」とはいえ言いっぱなしの連続だけど、それぞれの言葉が重なり合うときってどんな時なんだろうか。

「みんなでつくる」って?

社内メンバーでやっている自分のためのエプロンづくりは、「やってみたい」「つくりたい」から始まった楽しいワークショップ。kuluskaさんが一人ひとりに寄り添いながら、型紙は作らず、体に布をあててそれぞれの思いに沿うかたちをつくっていく。

つくるエプロンは一人ひとりバラバラでかたちも生地も異なるけれど、完成したものをみんなで「玉ねぎ染め」することになった◎
「みんなでつくる」良さって、たぶんこういうこと。
無理に合わせたり揃えたりしなくても、一緒に手を動かしてエプロンをつくる途中で、みんなの「いいね」が重なるときがある。好きなことで集まった小さい集団だと、その「いいね」が見つかりやすいんじゃないかとも思う。
それを会社という大きな集団で考えると、どうだろう。

みんなでつくる全体会議

社員全員が参加してやっている全体会議の名称が「みんなでつくる全体会議」。当初「みんなでつくる」という言葉に深い意味や思いはなかったけれど、9ヶ月が経ち「みんなでつくる」って何だろう、どういうこと?とメンバーらが考え始めている。流れにのっているメンバーもいるし、違和感を抱いているメンバーもいる。どんな考えや思いであれ、それぞれが自分を主語に考え始めたときに議論が始まる気がする。考えなくてもやれてしまうモノゴトに対して、考えるきっかけをつくっているのかもしれない。めんどくさいモノゴトの進め方だ。

物事の出発点を「私」にしてみる。そして他でもない経済活動ー「働くこと」や「ものを作り、売ること」、「お店を経営すること」といった一連の諸活動ーが「私」を「私たち」にしていく。
そして、この「私たち」が育っていくことこそ、社会づくりそのものではないかと思うのだ。

影山知明さん著「ゆっくり、いそげ」より

全体会議では、4人の委員による対話ミーティングが会議の前後に開かれる。会議そのものより、この少人数の対話の時間が充実することが大切だとわたしは考えている。集まったメンバーで “みんなの意見を取り入れながら会議をどう進めることがよいのか” について深く考えることができるからだ。課題もある。「効率的に(早く)進めることが◎」と考える人がいると表面上の「方法」の議論だけで終わってしまうということ。決められた時間内に終わることは大事な進め方なのだけど、それを目的にしてしまうと本来考えたいことには届かないことが多い。「気がついたら2時間以上話し込んでいた」ような委員の対話ミーティングを経た時は、わたし自身は「いっしょに考えた」「いっしょにつくっている」という気持ちを持ちやすい。これは時間が長ければいいということでもなく、お互いの間に同じことに向かっていくモチベーションというか、関係性ができてくるからだと思う。日頃からその関係性が積み重なっていれば、時間をかけずに必要なことだけミーティングで確認し合うこともできるのだと思う。

考えること、つくっていくこと…

いまの世の中は、レールの上を歩けば、困ることなくある程度は進めるような仕組みが行き届いている。日々の生活も、学校も、仕事も。考えるという面倒くさいことをしなくても、穏やかに暮らす日々は叶う。結果的に「違い」をわかりにくくしているし、「みんな同じ」の価値観へ推し進めている社会をつくっているのかもしれないけれど。
自分の意思や思いは反映されにくい社会。
それぞれの違いを生かしきれない社会。
家庭も、学校も、会社も、地域も、社会も、国も、世界も、そこにいる人たちがつくっているものなのに。

現代社会でシステム化が徹底すると、人は考えなくなる。システムの要請に沿って決められたように振る舞うことしかしなくなる。

影山知明さん著「ゆっくり、いそげ」より

対話合宿が開催された場所は、高校生たちの陸上大会を開催中。外に出ると爽やかな風にあたれた2日間。

頭の中が飽和状態になり、合宿の2日目は途中で出たり入ったりしながら参加した。人それぞれ、感じ方がまるで違うということがおもしろいけれど、初対面の人たちとの濃い対話の連続は、自分のなかに新しい回路をつくることに時間とパワーが吸い取られて…。休みながら時々参加する、というかかわり方がわたしにはちょうどよかった◎

今回の合宿の大きなテーマは「個を尊重する社会と教育を実現するための対話合宿」だった。テーマごとの対話によって、自分の実践や考えを振り返ることができたし、これまでとは違う視点も加わった。最後のセッションの時間に「いまこの場で、対話を通して『個を尊重する』ことってできているんだろうか?」と話していた人がいてドキッとした。本当にそうだと思う。いやいや、それ、あなたそう言ってるけど、自分の今の発言って相手のことを大事にしていないよね?みたいなもの。これは自分自身にもすごく当てはまることで。正義を前面に出しているときほど、あやしい。

2日間の合宿の後半は、内容ではなく、人や人数を見ながら対話の場所を選んだ。特定のテーマについて話したいというよりは、どのテーマにも前提として抑えておかなければならない「共通言語」みたいなものがあるんじゃないか?という土台の部分に興味が湧いていたから。それは「個を尊重する」という大きなテーマとも関係があることだと思う。そんな感じでモヤモヤしていたので「複数名でアクションプランをつくる」時間は、ひとりで考えを整理する時間にあてて “モヤモヤット” を整理した。

つまりは、今いる場所で、自分から始められることを始めていく、やってみるしかない。同じ場にいる人たちとは「いいね」が共有できるといいし、さらに多様な人たちと、実践を持ち寄ってかき混ぜる機会があるといい。そうやって自分とその周り、社会はつくられていくのだと思う。

別にみなが仲良しにならなくたっていい。別にみなが同じ価値観でなくたっていい。それぞれのあり方を尊重し、受け入れ、違いを踏まえた上でなんとか折り合いをつけてやっていくこと。それが社会というものではなかろうか。こうした姿勢は妥協ということでもなく、互いが互いのことを人として尊重できてさえいれば、違うことはむしろ世界を広げ、深めてくれるきっかけであり、人生を豊かにし、楽しませてくれるものであると信じている。

影山知明さん著「続・ゆっくり、いそげ」

影山知明さんの著書を読みながら、(おこがましいけれど…)今やっていることを言語化するとこんな感じになる?こうなっていけるといいなぁ…と思えることがいくつもあって、力が湧いてきた。異なる人同士だからこそ、重なる部分が見つけられると元気が出てくるもの。今いる場所で社内のメンバーらも含めてそれを体感できるようになるには、もう少し時間が必要かもしれない。

少し前に、豆ちよの孝子さんが Facebook でフードハブのことをこんな風に書いてくださっていた。

「どうして、なんのために」という畑で言うと土の部分を大切にしているのが隅々に感じられていつも気持ちが良いです。

豆ちよ焙煎所・千代田孝子さん

応援してくださる人たちがそばにいて「いいね」を共有できる人がいて、自分がいいと思ったことを試せる場、問うていける場があることは、ありがたいこと。様々な個性ある「種」が、周辺の環境を生かしながら本来の力を発揮して成長していける土づくり、それってどんなものなんだろう?
最近の考えごとは、その部分です。

パンの授業(現在お休み中/再開時期は未定)


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