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2020-05-28

アナキズム…

「アナーキー」という言葉を初めて知ったのは椎名林檎のうた。今更ながら今ここでその言葉に触れることになるとは。

久しぶりに聴いた林檎さん。歌詞を全部覚えててフルコーラス歌えたw

ミシマ社のオンラインイベントに参加した際、セットで届いた本が「ちゃぶ台 vol.5」だった。「宗教」という言葉に遠慮して今号はまだ読めずにいたのだ。いいタイミングでやってきた本。

読み始めると、今考えたいことが詰まっていた。「政治」ということに遠さを感じる日常だけど、いや、遠さを感じているのは自分であって、もっと身近に「政治」に参加する、当事者感覚をもつにはどのように「政治」を捉えれば良いのだろう、と。

自然災害、人災、議論されないまま通過する法案…今、私たちを取り巻く環境は、実態としてすでに「無政府状態」に近い。まともな感覚で生きようとすればするほど実感する。
そういう時代において宗教はどういう役割を果たせるのか?自分たちの時代の政治はどうなるのか。一人の生活者としてどう動いていけばいいのか?その手がかりを求めて、本誌の特集を企画した。

「ちゃぶ台 vol.5」編集長 三島邦弘

ここに寄稿されている松村圭一郎さん(岡山大学准教授)と三島邦弘さん(ミシマ社)の対話動画「これからのアナキズム」を視聴した。「ちゃぶ台 vol.5」の中にあった松村さんの次の言葉をもっと聞いてみたいと思ったのだ。

アナキズムの視点は、目の前の苦しい現実をいかに改善していくか、その改善を促す力は、政治家や裁判官、専門家や企業幹部など選ばれた人たちだけでなく、日常を生きる自分たちのなかにあることを気づかせてくれる。

「ちゃぶ台 vol.5 -はじめてのアナキズム-」松村圭一郎

対話動画は部分的に聞き返しながら3〜4回は聞いたと思う。

全員が、当事者。

4年間の会社員経験を経て、最初に描いていた状況がなんとなくかたちになってき始めた。まだ実現できていないこととしては、同僚との協働を通して活動の深い意義を共有できること。今は、そこにタッチしなくても進められる「協働」レベルにとどまっている。そこに自分のやり切れなさを感じていて。

0か100か、みたいな思考の癖があるわたしは、その「あいだ」を漂うことがとても苦手で、やるなら100までやり切りたいし(気持ちだけは!)、反対に、なんらかの壁が立ちはだかったらなかったことにしてしまう(極端)。「良くしていく」方向や「良い状況」がイメージできている時には(それが自分の妄想だとしても)評価によらずに突き進んでいける気がしている。

今は、久しぶりに狂った方位磁針のように方向が定まらない。自分の役割と、できることと、やりたいことと。

組織のためにみんなが動き始めると、組織自体が動かなくなるという矛盾がある(今の官僚制のようになる)。個々が組織を超えた自分の信念ややりたいことを持ちながら、反組織的に動ける組織ほど、たぶん柔軟性があって強くなって、危機にも対応できる。組織が決めた目標に忠実に協調して仲良くやって進むと、一見うまく進むように見えて組織の活性を高めない。矛盾しているけれど、個人の自立と組織の助け合いが同時に起きる必要がある。

松村圭一郎さん

ふむふむ。

思考停止にならないで自分自身をアップデートしていきたいとは思うけれど、それを実行していくのは大変だ。自分の信念を持って動けることを心がけたいと思っているが、同僚との関係性や全体の中での役割を考えると、信念を持って動ける人の方は少数派ではなかろうか。組織づくりって、自分のこと以上に難しい。でも、自分から動くことで組織をつくっていくことはできる。それが当事者であるということだろう。

今津さんのスイスチャード

包丁を握り、鍋やフライパンを熱し、自分で手を加えたものを食べると、だいたいのモヤモヤは飲み込める。今津さんの育てたスイスチャードは「ほうれん草のように食べるといいよ」と聞いて、スムージーにしたり、パエリアに入れたり、茹でて和えたり。台所の行為と食べる行為の連続は、たとえ結果が失敗だったとしても「自分の仕事」が反映される満足感がある。

樋口 明日香

パンの授業(現在お休み中/再開時期は未定)

再開の際にはこちらのブログでご案内いたします。

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