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2019-05-18

組織のあり方に悶々とする

一人だと簡単にできてしまうことも、いろんな思いがある人たちと一緒にやろうとすると思ったようには進まないことは往々にして起こる。そんなとき、伝えるための言葉選び、受け手の状況、どこまで踏み込んでいいのかという距離感、その人から出てくる言葉の背景、いろんなことを考え始めて “悶々” が止まらない。

それでも一緒にやろうとするのは、一人では成し得ないことを、誰かと一緒にやることで実現したいから、だと思う。

自分の「こたえ」

「こたえ」と言うと正解があるみたいだけれど、それぞれの生き方や考え方に正解はない。その時、その人がいいと思っていることや判断している基準を一旦「こたえ」と置いてみる(価値観や判断基準といえるのかも)。当たり前の話だけど、自分の「こたえ」= みんなの「こたえ」にはならないし(だから、おもしろい)、状況が変われば自分の「こたえ」もアップデートされていく。

だれかと一緒に何かをしようとする時には、自分の「こたえ」と相手の「こたえ」をつなぐ何かが必要。

自分の「こたえ」と相手の「こたえ」をつなぐもの

個々の雑談や対話など、自分から働きかければ相手のことを知る機会はいつでもどこでもつくることができる。組織に属している人であれば、組織からの働きかけで、きっかけが生まれる場合もあると思う。

でも、その間に「みんなで取り組む(みんなでつくる)」という何かしらのミッションを共有すると、双方向のやりとりが必然性を持ち始めることもある。双方向の思いの押し付け合いになっていくことも起こりうるけれど、そうじゃない。対話をしながら自分の「こたえ」と相手の「こたえ」を出し合える(見せ合える)といい。

所属している場、まちの取り組み、国をあげてのプロジェクト…大小様々な「みんなでつくる」に囲まれてわたしたちは暮らしている。「それに関わりたい」と思う時に好きなタイミングで関われるオープンな場が増えるといいなと思うし、それが形式ばったものでなく、身近な場所で、ゆるやかに、そしていつでも参画できるようなワクワクする場ならもっといい。「どこか遠いところでやっている何か」ではなくて、「自分」から始められるもの。

2人以上のプロジェクトチームを組み、そこでより具体的なミッションを共有し、チーム単位で双方向のやりとりを密にしていくことも可能だ。

「プロジェクト」という呼び名がいいかどうかはわからないけれど、常に固定化されたチームではなく、柔軟に「個人」ベースでやってみたいことにチャレンジできる場として小さな集団が機能すると、動きやすい単位で自分の「こたえ」をより深めたり、考えたりすることが可能になるかもしれない。

「みんなでつくる」って?

「みんなでつくる」ということは、自分と人との双方向のやりとりを通して、自分の「こたえ」をアップデートし、みんなの「こたえ」をつくっていくこと。

周りの人たちと関わりながらアップデートし続ける自分の「こたえ」が、自分、所属している場、社会の「いいね」に重なると、より多くの人に届くのだと思う。多様な人たちが暮らす社会がよりよくなっていくためには、多様な人たちのそれぞれの「こたえ」が社会につながっていくことが大切だと思う。

同質性の高い場や集団を目指しているわけではない。一人ひとりがバラバラであることが大切だなぁというのが自分の会社にいて思うこと。

もっともっと、それぞれの考え、意見、思いを出していいなーと思うし(それが自分の「こたえ」なのだから)、それが出せるためのウォーミングアップは今いる場所でも続けていかなければならない。そして、同時にそれぞれの「こたえ」をまるごとぐるっと受け止められる土壌を育てていきたいと思っている。

まとまらないこともこうして言葉に残しておきたかった。

最近は、パンやごはんのことより、こんなことばかり考えています。

思い返せば、小学校の教室でもこんなことばっかり考えてたんだ。子どもより、大人の方が何百倍も難しいし、時間がかかる。

 

樋口 明日香

パンの授業(現在お休み中/再開時期は未定)

再開の際にはこちらのブログでご案内いたします。

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