台所の行為と食べる行為の連続に「自分の仕事が反映される
「アナーキー」という言葉を初めて知ったのは椎名林檎のうた。今更ながら今ここでその言葉に触れることになるとは。
20年ぶりでもフルコーラス歌えましたw
ミシマ社のオンラインイベントに参加した際、セットで届いた本が「ちゃぶ台 vol.5」だった。「宗教」という言葉に遠慮して今号はまだ読めずにいたのだ。いいタイミングでやってきた本。
「政治」ということに遠さを感じる日常だけど、いや、遠さを感じているのは自分であって、もっと身近に「政治」に参加する、当事者感覚をもつにはどのように「政治」を捉えれば良いのだろう、と。
自然災害、人災、議論されないまま通過する法案…今、私たちを取り巻く環境は、実態としてすでに「無政府状態」に近い。まともな感覚で生きようとすればするほど実感する。
「ちゃぶ台 vol.5」編集長 三島邦弘
そういう時代において宗教はどういう役割を果たせるのか?自分たちの時代の政治はどうなるのか。一人の生活者としてどう動いていけばいいのか?その手がかりを求めて、本誌の特集を企画した。
全員が、当事者。
4年間の会社員経験を経て、最初に描いていた状況がなんとなくかたちになってき始めた。でも、そこに自分のやり切れなさを感じていて。
0か100か、みたいな思考の癖があるわたしは、その「あいだ」を漂うことがとても苦手で、やるなら100までやり切りたいし(気持ちだけは!)、反対に、なんらかの壁が立ちはだかったらなかったことにしてしまう(極端)。「良くしていく」方向や「良い状況」がイメージできている時には(それが自分の妄想だとしても)評価によらずに突き進んでいける気がしている。
今は、久しぶりに狂った方位磁針のように方向が定まらない。自分の役割と、できることと、やりたいことと。
組織のためにみんなが動き始めると、組織自体が動かなくなるという矛盾がある(今の官僚制のようになる)。個々が組織を超えた自分の信念ややりたいことを持ちながら、反組織的に動ける組織ほど、たぶん柔軟性があって強くなって、危機にも対応できる。組織が決めた目標に忠実に協調して仲良くやって進むと、一見うまく進むように見えて組織の活性を高めない。矛盾しているけれど、個人の自立と組織の助け合いが同時に起きる必要がある。
松村圭一郎さん
ふむふむ。
思考停止にならないで自分自身をアップデートしていきたいとは思うけれど、それを実行していくのは大変だ。同僚との関係性や全体の中での役割を考えると、信念を持って動ける人の方が少数派。組織づくりって、自分のこと以上に難しい。でも、自分から動くことで組織をつくっていくことはできる。それが当事者であるということだろう。
包丁を握り、鍋やフライパンを熱し、自分で手を加えたものを食べると、だいたいのモヤモヤは飲み込める。今津さんの育てたスイスチャードは「ほうれん草のように食べるといいよ」と聞いて、スムージーにしたり、パエリアに入れたり、茹でて和えたり。台所の行為と食べる行為の連続は、たとえ結果が失敗だったとしても「自分の仕事」が反映される満足感がある。
樋口 明日香