どうしても、心地よさ。
甥っこがよちよち歩くようになった。
ピアノに触れて音を出して楽しんでいる(ように見える)。
鍵盤が見えにくいだろうなぁと思って、甥を抱き上げ膝に乗せて、ピアノを弾くと
「あんバッバ(アンパンマン)!」
びっくり。
ちゃんと認識できるんだ!!わたしが手を休めると、甥はわたしの手を引っ張ってピアノの上に促した。(おそらく「もっと弾いて」ってこと。)
1歳でもここまでちゃんと自分の意思を伝えられるんだな、とにわかに感動した最近の出来事。
音楽。
最近、ちょっとした空き時間(家にいる時間)にピアノを弾くようになった。弾く、というか、なぞる、というか。
子どもの頃に使っていた楽譜を引っ張りだし、はじめから弾いてみる。
…心地よい。
子ども時代に練習した曲はちゃんと覚えている。
指は当時のように動かなくても、頭の中では和音やメロディーがなっている。
(頭の中でなっているように弾きたい…)
起承転結。
練習を始めて2週間くらい経ち、ちょっと指がほぐれてきたかなーってところでベートーヴェンとかモーツァルトとかハイドンのソナタを弾いてみた。
まったく弾けない(!!)
が、練習曲と違ってドラマチックな気分になってきたのは「起承転結」があるせいか。途中の転調、心地よい和音進行、感情とピタッとハマる。
ピアノってこんなに心地よかったっけ?
(子どもの頃はいやいや練習していた記憶しかない。)
それが、最近の自分の発見。
生きていれば、時間が経てば、自分の記憶もその価値もどんどん変わってくる。
大人になっても、退化しても(!?)「練習すれば上達する」を実感できることはとても幸せなことだとピアノを弾いていて思った。それが甥の喜びや楽しさになったり、自分自身のリラックス時間になったりしていることが、うれしい。
ラジオだったか、バッハの研究をされている音楽評論家が「バッハはこの世界の『秩序』を音に表している。」と話していたのがとても印象に残っている。
規則的に並んだ音階にも、やはりピタッとハマる相性のいい組み合わせと、不協和音のように居心地の悪くなる組み合わせが、ある。バッハは居心地の悪くなる音の組み合わせを、人間の耳に「心地よい」並び方にかえ、新しい秩序をつくり出しているという話だった。
規則性。秩序。
参加していた会で、自分のやっている仕事の「その先(の姿)」を書かねばならぬ課題が出た。イメージはありありと浮かぶんだけど、それを言い当てる言葉が見つからない。まさしく、居心地の悪い状態。
そんな言葉にならない「もやもやっと」を体内(脳内?心内?)に住まわせながら、今まさに、考えを巡らせているところ。
足が本屋に向いてしまう。
そして、自分の「もやもやっと」を言い当ててくれる居心地のよい言葉を探しています。
un 樋口 明日香