「選択」×1日3回=わたし。

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おべんとうの話です。

これまでのおべんとう関連の記事 → 手抜き弁当友の会、入部

Instagramに記録としてUPしているおべんとうの数が、やっと50を越えました。

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Instagramの便利なところは、こうやって同じタグでまとめて見られるところ。
タグの機能が使いやすくて、わたしはもっぱらInstagram投稿です。

-これまで作ってきたaz弁の共通ルール-
素材の味や季節が感じられて
自分が好きで食べたいと思うものだけを詰め込んだ、ワクワクするおべんとう。
噛めば噛むほど味わい深さを感じられる、滋味べんとう。

調味料や加工品についても、自分で判断できる限り、安全性を最優先にしています。


食生活については様々な情報が手に入るので、自分がいいと思っていたことを続けることに迷いが出ることもあります。

昨日、 同僚から借りていたDVD「天のしずく」(辰巳芳子さん”いのちのスープ”)を観ました。

『サボっちゃダメよ。怠慢に流れてはダメ。』
『手がかかっても、なんでも作ってこうやって手をかけて食べるんだよ』
『そりゃぁ手がかかりますよ。そのことで軋轢を生むかもしれない。でも、しつけなのよ。』

この辰巳さんの台詞の場面だけ、何度も繰り返して観ました。
(こういう言葉を言って欲しかったんだ、とも思いながら。)
人生の大先輩の言葉に、ただただ重みを感じました。

有無を言わせぬ説得力は、きっとこれまでその言葉どおり体現してきているからに違いない、とも思ったのです。


「レンジでチン」

「インスタント(食品)」

「コンビニエンスストア」

巷にあふれる食品は、便利食品で溢れています。時間がなくても、食事にはありつける社会の仕組み。
さて、わたしはどうだろう。。

「仕事」を言い訳に、「時間がない」を言い訳に
サボったこと、多し。
怠慢に流したこと、数知れず。

でも、今では「食べたいものはお店に売っていない!!」という不便さに気づきます。(こんなに便利な時代なのにっ)


ずっと根底に流れているものは、

調味料も加工品も、全部じぶんの手で作ったもので食卓を整える

ということ。

今になって振り返れば
白崎茶会で料理を教わるということは、
日本の伝統食、食文化を教わるだけでなく、生活全体を変えていくことでした。

「迷い」がある時にも「不安」で押しつぶされそうな時にも、
(特に3.11の後とか…)
明るい方向、未来が楽しくなる方法があるんだ、そのための料理(調理)なんだ、ということも教わりました。


「憧れ」だった白崎レシピで作る食卓。
6年経った今では「日常」の中に自然と取り入れるようになった自分がいます。(頑張って作る!から1歩進めたかな。)

疲れている時、時間が作れない時、

どこかで買う?
外食する?
と自問自答します。

「怠慢」に流れそうなこともしょっちゅうですが、

1日3回×人生の残り時間(日)=「食卓」の数 です。

料理人でない限り、自分が食卓を作れる機会はどんなに多くても
「1日3回×人生の残り時間(日)」しかないんだな、とこの記事を書きながら思いました。
1回1回は小さな選択でも、積み重なると、けっこう大きいかもしれません。

自分で選択できる基準を持つための、食に関する「正しい知識」は必要。
(調味料の選び方とか、食材の選び方とか、売られている食品がどうやって作られているのか?とか。)

「食育」って、なんだろう。
そんなことも考えている今日この頃。


自分が「いい」と思うものを「選択」し「継続」していくこと。
その日々の積み重ねで「わたし」はできていく。
→ お弁当作り(日々のごはんづくり)を通して実験中です。

 

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